甲佐町 こうさてんプロジェクト

わたしが甲佐町に住む理由ー移住歴6年、地元密着型の介護施設「せせらぎ」で働いて10年ー黒田勝さんの場合

2019.03.12

 

 

 

 

 

ーわたしが甲佐町に住む理由ー移住歴6年、地元密着型の介護施設「せせらぎ」で働いて10年ー黒田勝さんの場合

 

ーー甲佐町に移住したきっかけはなんですか?

 

甲佐町を起点に複数の介護サービスを運営する有限会社せせらぎのデイサービスで働く中で甲佐町が好きになったからです。今は、同じ系列の小規模多機能ホームほたるに勤めています。

 

 

ーー元々、介護のお仕事をされていたんでし。ょうか。

 

いえ、元々は、10年程、精神科で勤務していました。看護助手、作業療法士の助手、後半は精神保健福祉士として入院前から退院後までの相談援助の仕事をしていました。そこで感じた課題はストレスフルな現代社会の中で、心を病んで精神科を訪れた患者さんが治療して良くなったと思ったら、また心を病みやすい環境に戻って、居場所を得られずに再発してしまうことでした。一方で、それを避けるために病院関係のデイケアや訪問看護や入所施設などの守られた環境で人生を終えていく方も多く、本当に心を病まない地域社会とは何かということに疑問を持つことになりました。

 

その後、地球一周の船旅「ピースボート」に参加し、日本や本来の日本人の良さを自分が知らないことに気づきました。帰国後は自分の直感のアンテナにひっかかることに何でも関わってみようと思い、林業のバイトや自然の学校で働いたりしました。

 

このような経験から、現代社会に対しなじみの人やコミュニティ、自然環境とのつながりが希薄になっていることが心を病みやすくさせているのではないかという確信が強まりました。逆に日本の農村には幸せを感じる多様なつながりが残されており、その知恵を医療福祉の仕事に携わりながら学んでいきたいと思いました。

 

 

 

 

2009年4月までに農村で働こうと考えていたところ、せせらぎとのご縁があり、そのころ住んでいた菊池市から一時間の甲佐町で働くことになりました。気づけば甲佐町で働きだして10年、移住して6年になります。

 

 

ーー働く中で、移住することを決められたのですね。職場として通うだけでなく、移住しようと思った理由はなんですか?

 

大きな理由は2つです。

1つはアクセスの良さ。海・川・山・畑だけではなく、熊本の市街地にも、空港にも、インターにも近く、田舎暮らしと都市型の暮らしのどちらもできる立地だと感じたからです。

 

もう1つの理由は甲佐町の自然(特に緑川)や、事業所がある龍野地区の人たちが自分を温かく受け入れてくれる感じがしたからです。介護の仕事をする中で、同じ甲佐町でも集落ごとに価値観・歴史・風習・暮らし方が違うことに気づけました。甲佐町の中でも都市型の生活をしている地域や、専業農家が多い地域などなど様々ですが、龍野地区は自分にあっていると感じました。

 

 

 

 

 

ーー田舎へ本格的に移住する心的ハードルはありませんでしたか?

 

もちろんありました。地域のみなさんにちゃんと馴染めるかどうかとか……。ただ、せせらぎは地域密着型の介護サービスを運営する中で、地域の高齢者福祉の課題の解決に関わっており、自分はその信用を借りることが出来たのです。

 

最初の2年は家を買わず、空き家になっていた元別荘で賃貸暮らしをしていました。移住前にどれだけ地域特性を理解しようと努めても、住んでみないと分からないしきたりや約束ごと、慣習などがあるだろうなと思ったからです。仕事が忙しい中で、消防団や地域行事にちゃんと参加できるのか、また、万が一参加できなくても、それで居心地が悪くなったりしないかとか……本当に移住してもやっていけるのか「お試し期間」を設けたんです。

 

 

ーー本当に暮らせるかどうか「お試し期間を設けるべき」という話は、移住者の方は、みなさんされますね。確かに、移住する側も、受け入れる側もミスマッチだと不幸ですものね、マッチングするかどうか、見極める期間は重要だと思います……それで、実際に2年、様子を見られて、移住に踏み切れたポイントは何だったのでしょうか。

 

 

僕が暮らす龍野地区には多忙な仕事の中でも、その地区が大切にしている伝統行事に参加し、日本の伝統的な文化や生きる知恵・本来の日本人の良さを学ぶことが出来ると思いました。

 

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【龍野エリアの年中行事】

11~12月 山の神様の祭(山の水源の掃除)

1月15日  どんどや

年明け  観音さん祭

年に2回の草刈り


 

 

先祖の霊は最寄りの里山に還り、山の神になるといわれています。山の神には湧水があります。山の神様の祭りでは集落みんなでその周辺をきれいにした後、その湧水で釜ご飯を炊き塩サバをみんなで食べます。春になると桜の木に山の神が降りてきて田の神になります。花を見ながら豊作を願います。年の初めから秋の収穫に至るまで命の元となる稲作と家族の無事を祈る行事があり、とても大切なものだと体験してわかることが出来ました。また、道具や火の使い方、自然との関わり方を学ぶ貴重な機会です。その地域で暮らし続けるために普段から共同で作業をしたり、食を共にすることで関係を密にし、トラブルを未然に回避する知恵が行事の中に生きています。

 

消防団に関して、災害時はケアマネージャーとして介護施設の高齢者の対応という責務があり、消防団には入らないが、地域のために動くことを理解してもらっています。

 

 

 

あとは龍野エリアに住む人たちとのマッチングですね。僕が暮らす龍野エリアに暮らす家族は、5世帯。消防署、大工さん、コンビニ関係、兼業農家さん、63歳前後のご夫婦など、年齢も生活のサイクルも全く異なる人たちが住んでいるのですが、たった5世帯なので、親戚が集まるような距離感で接しています(笑)。

 

田舎の大仕事である「草刈り」などは、老夫婦にとっては、体力がいる大変な仕事です。そこに体力がある僕のような人材が移住してきたことで、歓迎してくださったり、野菜を大量にいただいたり。すごいのは、農家じゃない家でも、みなさん普通に、30~50種類くらいの野菜を自分たちで食べるように、自宅で栽培しているんですよ。

 

僕も6年ほど前にお米づくりを始めたんですが、都会でも読めるマニュアル本などを見て作っても、僕が本当に知りたい農村暮らしに隠された“生きるヒント”を得ることなんてできないと思ったので、なんにも見ずに栽培し始めてみることにしました。

 

でも、それでちゃんと育ったんです。というのも、地域のみなさんが、僕の畑の様子を気にかけてくださって、次にすべきことを教えてもらえたんですね。「そろそろあぜ草を刈った方がいいよ」とか、「そろそろ肥料をやりなさい」っていう風に。まさに地域の文化、知恵のみで栽培したわけです。それでお米が作れたんで、次は同じ方法で、雑穀を植えてみたいと考えています。僕も地域のみなさんのように自給自足を拡大していきたいなと……それに、とにかくたくさん野菜をもらうんで、僕も何か、みなさんが作っていないものを栽培して返したいんです(笑)。もらいっぱなしじゃ悪いので。

 

 

ーーそんなに、たくさんくれるんですね。

 

そうですね。これは農村らしさかもしれません。都会のようにギブアンドテイクの価値観ではないですね。「遠くに出したお湯も、いつか淵にあたって帰ってくるだろう」っていう、自分の行いが、良くも悪くも将来自分に返ってくるという考え方があったり、良くも悪くも将来自分に返ってくるという考え方があったり、もっと言うと、与えることが喜びであり誇りだという考え方もあるのです。「我が我が」という感じではないんです。そんな姿勢に、日々気づかされることも多いですよ。

 

 

 

ーー実際に甲佐町に移住する場合、押さえるべきポイントはありますか?

 

僕の実体験から言えば……仕事で顔を出す中で、まずは存在を認知してもらうというのはオススメですよ。その点では、介護職は、顔を覚えてもらいやすい職場なので、働きながら情報と信頼を得たい人には、良い選択肢のひとつだと思います。

 

また、僕がラッキーだったのは、最初の2年間に借りた空き家の大家さんが、たまたま地域からの信頼が厚い人だったということです。田舎ですから、「誰の紹介や仲立ちで移住してきたか」で、最初に得られる信用度が変わります。……逆の立場でも、知らない人に紹介された、様子の分からない人が日々の暮らしの中に急に入ってくるのは怖いですけど、信頼できる人の紹介なら大丈夫そうに思えますよね。同じことなんです。

 

仲立ちいただく人が、地域で信頼されている人だと、より地域に馴染みやすいとは思います……、そんな人にうまく出会えればラッキーなんですが。

 

 

――最後に、今後、新しく取り組んでいきたいことって何か考えてますか?

 

個人的には人に会うのも好きだし、もっと外部の人に気軽に甲佐町に来てほしいので、そのための憩いの場づくりをしたいと考えています。実際に最近だと「梅ちぎり」や「柿ちぎり」など、農村の価値を感じていただきながら、交流するイベントを企画しました。今やりたいのは家に大量にある本を利用した「ブックカフェ」ですね。ただひとりだと、なかなか運営が難しいので……そういう活動に興味がある方! ぜひ甲佐町に遊びにきてください。僕は「ほたる」にいますから(笑)。

 

僕も、農村に移住を決めた当初の目的である「心が病みにくく、幸せを感じる地域社会を学びながら、農村の良さを広く伝える」ことに、今も日々トライ中ですが、都会よりも心が開かれた社会である農村に、新しい人も心を開いて馴染んでもらえるように少しでもなっていければなと考えています。そのための工夫などは、僕ら受け入れ側も考えていくべきなのですが、感覚的に「農村に価値がある、豊かだな」と思える人や「お金じゃない価値を楽しめる」人なら、農村暮らしは楽しめると思いますよ。興味が沸いた人は、一度、気軽に会いに来てくださいね。